紛争に呑まれる人と呑まれない人

些細なケンカから裁判沙汰まで、紛争に呑まれていく人は善悪思考の強い人です。
相手が悪く、自分が正しい、その主張を認めさせようとする。

どっちが悪い、正しいの二元論。とはいえ人の数だけ正しさはあり、相手は相手なりに自分が正しいと思っているので正しさと正しさの対立、紛争になります。

善悪のジャッジがなければ構造が異なります。

自分と相手がいて、その間になんらかの問題(感情的なものも現象的なものも)がある。

それをいかに解決するかです。WINーWINの思考ができたり、相手を問題解決に共にあたっている人と見るので相手の協力も得やすい。この場合は上述の紛争と同じ問題があったにしても、紛争にならず、交渉だったり共同作業のようになります。自分には自分の考えや立場や感覚・感情があり、相手にもそれとは異なるそれがある、正しさが人の数だけあることを知っており、相手を尊重できる人にはこれができます。

善悪思考が強い、相手をジャッジするということは自分自身のこともジャッジしているということであり、どこかから仕入れてきた”正しさ”を自分自身より優先させている点で自己肯定が弱く、

相手を尊重できるということは前提として自分自身を尊重できている(自分も尊重できないのに相手を尊重できない)ので、自己肯定が強い。

かくして同じ現象があっても自己肯定の低い人ほど喧嘩や紛争になり(あるいは自分に我慢や犠牲を強いて一時しのぎし、そのうち喧嘩する)、自己肯定の高い人ほど平和で人と共同して解決します。

隣人との喧嘩から世界規模の平和まで、大切なのは善悪二元論を超えること、各自がどんな自分も尊重することだと法的紛争と心理の世界に長くいて思います。

ラジオ出演

ラジオ日本「未来相談室」に今月出演させていただきます。

弁護士カウンセラーとして、

12月4日・11日・18日・25日、
23:15〜23:30の番組の中の小コーナーで各回1〜2分、弁護士業務とカウンセリングについて、現代社会とカウンセリングについてなど、ちょっとだけお話をさせていただいてます。

クラリネットもちょっとだけ演奏してますよ(1週目と4週目)。

放送後一週間は、radikoというWebサービスのタイムフリーにて何時でもどこからでも無料で聴いていただけるそうです。

よかったら聴いてくださいね^ ^

紛争あるある。許すか許さないか。

相手を許せたら自分も楽に、平和になりそうだし、人間的に善さげだし、なんやかんや現実的にもそっちの方が得そうだから「許さなきゃ、でも…」と悶々となるくらいなら、「38億回死ね馬鹿野郎」とか思ってたり味方にわめいてたりする方が結果的にそのうち相手がどうでもよくなっていい感じに納まったりする。

許せない自分をまず許そうという話で、自分のことを自分で許せている範囲の広さ・深さと、他人や世界を許せている範囲の広さ・深さは比例する。

許すのは神の御業、我々器の小さい人間はわめいてジタバタしてていいそんな時期もあるさくらいの構えの方が楽にすんなりいく。

武道で、息が長い方が勝つ、力んでいる奴より緩んでいる方が勝つ(巌流島の武蔵と小次郎的な)と言われるそうですが法的紛争においても力んでいるより緩んでいる人の方が上手くいきます。

冒頭の悶々とする人は、良くも悪くも理想の自分像や世界像にとらわれがちなタイプ(私も)。

悩みの構造と・・・。

どんな感情もまずは一旦受け止められる必要があります。

“あの人に、他の人に、世間に、受け入れられない、認められない”と思ってるときは、自分で自分を受け入れてない、認めていないのだと思ってまず間違いはありません。

悩みや問題があるとして

大人だから、〇歳だから
父親だから、母親だから
男だから
女だから
〇〇という立場だから
自分はこういう人間であるはずだから
自分はこういう人間では決してあってはならないから

として感情を感じないことにしていると、概ね事態はこじれていく一方になります。(ちなみに感情を抑えてるときは思考がぐるぐるよく廻ります。思考に逃げてると感情感じなくて済むから)

抑えてた自分の気持ちや感情をしっかり受け止めてもらうと、気持ちや思考がスッと切り替わって展開が大きく変わることは多いし、悩み自体消えたり、”問題”という捉え方自体が自然に消えたりします。

人に受け止めてもらってもいいし、自分で受け止めてもいいし。

そういう意味で、悩みというのは、どんな自分も愛したいからこそ起こる、まだ受け止めてない自分の部分を受け止めにいく機会や過程ともいえます。

自分に( カッコ )つけないで、自然体で今日も生きましょ。

問題社員の対処法とスネ

「この社員が大変なんですよねー。」

顧問契約をして相談役のように置いて下さる社長さんからはこんなお話も聴きます。

「それはひどいですね。」とひとしきり問題行動をきいて、まあ非常識だしそれは嫌がられるわという話なのですが、

「それで、まああくまで可能性なんですが、その行動の奥には認められたい、愛されたいみたいな気持ちがあって、さらにその奥には自分は認められないっていう欠乏感とか劣等感とかがあるのでそういう下手くそで迷惑な表現方法してるのかもしれませんねー。」

となんとなく感じたことをお伝えすると(一例)、

「ああ、なんかわかる気がします。あんなこと言ってたしなー。」

と言いながら怒ってた目が優しくなる社長が好きですわ。


“問題”社員(問題上司でもパートナーでも親でも子でも一緒)の”問題”行動に正面から対処するよりなぜそんなことをするのか、その奥の気持ちを見てあげる方が大事で、

私たちのたいがいの厄介な行動、態度は、「認めてほしい、愛されたい」の気持ちのくそ不器用な表現であることが多くて、その奥には「どうせ自分は認められない、愛されない」の思い込みがあったりします。要は拗ねてます。ええ、私もありますわ。

そんなところは人間何歳でもあるので(人間だもの)、その人が何歳だろうが立場があろうが、もう小さい子どもがそう拗ねてると思ってその気持ちに上手く対応してあげようとする方が対処しやすい上に有効だし、ハマれば一気に物分かり良く友好的、協力的になったりもします。

拗ねまくってるとみるみる現実がこじれていくので(拗ねてると人から嫌われるような行動を無意識にあえてとって”どうせ自分は認められない、愛されない”を確認し続けちゃいます)

相手の下手くそな表現方法の奥に拗ねや悲しみをみてそこを認めてあげられる対応ができて、自分の下手くそな表現方法の奥に昔作った拗ねとか悲しみとか寂しさを見つけて認めて優しく寄り添ってあげられることで、よりシンプルで素直で生きやすい人間関係と世界ができるかなあと思います。

講義 一人称と現実世界

母校慶應大学日吉キャンパスの人文科学分野の講義でゲスト講師としてお話しさせていただきました。

日吉キャンパス(1-2年生)若っかい!!

テーマは

“一人称と現実世界”

自分の内面との関わりや接し方次第で現実世界でもだいぶ好きに生きられるようになるので、こうして特に若い人相手にいろいろ感じてもらったり考えてもらえるための機会をいただけて本当に嬉しいです。

流れ用意してきたんだけど、双方向性でやったほうが面白そうだったので途中からそっち寄りに。その場の質問や感想を受けて双方向性でやる方がその場とメンバーだからこそのものが出てきて楽しいし好きだわ。

大学等の講師等としてのお呼び、引き続き募集中です。いつも素敵なご縁をたくさんつないでいただきありがとうございます

社会システムと自分

安富東大教授に関する記事。ああ、わかるなあ。

「あなたが苦しいのは社会システムが狂ってるからです」東大教授・安冨歩の発言になぜ共感が集まるのか

小中学校・高校生活に上手く適応できずしんどかった自分としては(自由がなさ過ぎて無理、通学ラッシュしんど過ぎ・大学は自由だから楽しい、いわゆるフルタイム会社員も私は無理)、

「不登校はまったく問題じゃない。『不登校が問題になる社会』のほうが問題なんです。」

は同感。
あるシステムに全員が適応できる、すべきだってのは無理筋な考え方だと思いますわ。

でも親はよかれと思って「社会システム」を押しつけてくるのよね。それしかないとも思ってるし、親自身も「我慢」してシステム適合してきてるから(大概さらにその親に押しつけられてる、で、その世代とかは戦争とかあるからシステム適合の強制力半端ない)、子どもだけが我慢せず自由にやるのは許せない(私が我慢してるんだからお前も我慢しろ)かつすごく怖い(未知の領域過ぎ)っつー心理も悪意なく無意識に働くしね。人間だもの。

で、我慢して適合していつしか自分を黙らせた大人は下の世代にこの仕組みを無意識に再生産しようとしがちである。

==
そして人は、あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごし、知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるのだ(from 名もなき詩  Mr.Children 1996年 作詞 桜井和寿大先生)。
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ーーーーーーー(安富教授インタビュー記事から<リンク先>)
「自分自身になる」というのは、いわゆる「自分探し」のことではありません。「自分探し」なんてするだけムダです。だって、そもそも人は自分自身以外のものにはなれません。

でも多くの人は、想像力によって「自分じゃないもの」になりすましています。それをやめればいいだけなんですが、これがなかなかやめられないはずです。親に、そうなれと教え込まれているんです。

私の場合も「親の教え」にみごとにはまって京都大学へ入り、一流企業に就職しました。でも、京大に合格しても一流企業へ就職しても、全然うれしくなかったんです。

なぜうれしくなかったのかと言えば、そのときの私が「自分自身」ではなかったからです。「自分じゃないもの」がいくら成功したって、私がうれしいはずもありません。

ゲームの「ポケモン」ってあるでしょ。受験や就職で戦っていたのは、私じゃなくて私の「ポケモン(社会に適応するためにつくられた自分)」だったんです。成功しても、それは私ではなく私の「ポケモン」が成功しているだけなので、うれしくないんです。私だけでなく、ほとんどの人がそうなんです。子どもは親の「ポケモン」だし、戦っているのは、その子自身の「ポケモン」なんです。

不登校・ひきこもりを生きる、というのはたいへんな苦悩を伴いますが、じつは私が教えている東大生も、内面の苦悩は、ほとんど同じだと感じています。前者は「自分自身じゃないもの」になろうとしてなれずに苦しみ、後者はなりきって苦しんでいる。でも「自分自身じゃないもののフリ」をすることをやめないかぎり、自分の人生は始まりません。

悩みについて

悩みは、自分の望みや欲望を否定してる、ないことにしているとき、「こうしたい」とどこかから輸入してきた「こうするべき」がずれてるとき、他の何かに批判されるのを恐れて望みに蓋をするとき、要は自分の望みを黙らせてるときに起こります。

自分や家族、大切な人の笑顔や幸せより、世間体やら誰か(大概あまり好きじゃない人)から批判される恐れを優先させてることは結構多いです。

大事な人(自分や好きな人、大切な人)の意向を無視・軽視して、あまり好きじゃない人、嫌いな人、よくわからない存在(世間?)の意向に沿おうとする、のは文字で書くとおかしいことはよくわかりますが割とよくあることです。

迷ったら、自分と好きな人、大切な人が笑顔になる方を選択するのがおすすめです。

素直が一番

離婚に関するよくある誤解

子どものいる夫婦が離婚をする際のよくある先入観・前提として、

「『片親』になる=片方の親と子どもが離れ離れになる」というものがあります。

しかし離婚したからといって親子の縁は切れるわけでも何でもなく、

典型的には養育費の分担等といった形で、どんなに少なくとも理論上協力して養育することは続きます。これまでとは違う形での協力。

もちろん、片方の親が失踪同然で連絡も取れず子どもと二度と会うことはなさそう、みたいなケースもあるでしょうが、

離婚して別居するものの養育費を支払い、子どもと離婚親はよく会うし

仲もいいし成長にも関わる、さらに離婚した男女同士も結婚時とは違う形で新しい一定の協力関係にある

という場合もあるわけでそこには千差万別の関係性とバリエーションがあり得るはず。

毎日会うことはなくなるじゃないか、というツッコミもあるかもしれませんが別に結婚してても片方の親の単身赴任が長いとか、仕事人間で家にいない、とか結婚家庭も事情は千差万別。一緒に住んでても心の距離すごい、みたいなこともありましょう。

にもかかわらず、弁護士=「異議あり!」(使う機会あまり多くないです)、裁判長=「静粛に」の木槌(日本の裁判所にはなく、「静粛に」も言いません。アメリカは知りません。教えて、留学した人)

のような先入観や言葉のイメージで「離婚=片親=親子離ればなれ」が大前提のようにしてしまうのは、

親子関係という超重大なお話のレベルとしては、もっと検証してみた方がよいことかもしれません。

「離婚」=「不幸せ」 親の離婚経験=「子はそれがないより不幸になる」なども似たような先入観・前提。

基本的に私たちはそういう前提となる思い込みをもっていると現実を無意識に思い込み通りの方向に引っ張っていってしまう性質をもちます(ピグマリオン効果・またはその応用)。

夫婦が離婚しようが子どもにとって親は親。

離婚の世間的イメージに何となく乗っかるのではなく、離婚は離婚として、これまでとは違う新たな関係性のデザインを

主体的に創造していくことも選択肢の一つかもしれません。

そうするために必要なものはお互いに対する尊重。その源としてご自分に対する尊重。

大人同士お互いに尊重がある方が子どもにとっても男女にとってもその関係性がより豊かな可能性の源となり得ます。

積もり積もった相手への感情でどうしても相手を尊重できない場合は無理する必要は全くありませんが(無理にできないし。あと暴力(言葉のそれを含む)からはいかなる手段を用いてでも距離を取ってご自分を守って下さい)、

その場合でもご自分のために時間をとって、(だいたいとても疲れていらっしゃることが多いので)まず休むこと、そしてご自分のお気持ちに優しく寄り添う、向き合っていかれることは、何よりご自分の平和のために、大切なプロセスとなるかと思います。

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プロセスの一例として↓

過去ブログ 「大切な人にわかってほしかったこと」  響く方にめっちゃ響いてました。よかったら。

ピグマリオン効果についても書いてました。

「大切な人には、心配するより・・を」

 

女性にとって、意外なこと?

以前コーチ仲間(女性)主宰の、シングル女性のための恋愛・婚活のための講座(いわゆるグループコーチング)に
ゲストコーチとして呼んでもらって、参加者の方のコーチングさせてもらったり、アドバイスさせてもらったりしたんですが、

文脈は忘れたけど意外と一番反響があった言葉が、

「以前別れた彼女とか奥さんを『幸せにできなかった』と悔やんでたり、それで自信なくしてたりする男性結構いるから
それを踏まえてあげるといいですよ」

という内容。参加者女性の方々がびっくりして、嬉しそうに、またはじんわり安心したように

「男の人って優しい~!」

「なんか救われました」

等々おっしゃって、そんなに意外なんだと思いました。

自分にもあるし、男性からは(悲しみや無力感とともに( ;∀;))結構聴く話なので、多いパターンだと思います。

男性たちは、大概好きな女性を幸せにしたいと思ってるし、ただそれを伝える、伝わるように動くのが
不器用な人が多くてごめんなさいみたいな感じなのですが。

逆に、自分がいることで自分がしたことで好きな女性が喜んでくれると、それはもう嬉しくて嬉しくて

エネルギー湧いて湧いて忠犬ハチ公か馬車馬みたいにまた同じようにまたはグレードアップしてやってしまうという男性は多いのではないかと。

自分がないっちゃ自分がないかもしれないし、ある意味弱いかもしれないし、単純・純粋かもしれないし、間違いなくバカなんですけどw、幸せなバカだったり。好きな女性の笑顔と信頼でいくらでもがんばれちゃいます、みたいな。
信じてくれるって本当にありがたい。

なので、受取り上手な女性、嫌なこととか望まないことはそれも表現してくれて(そしたら軌道修正しやすくて助かる)、嬉しいときにお返しとか別に考えないで率直に喜びや幸せを表現してくれる女性がいてくれたら、

その手の男性は助かるし、そういう行動をとる人はこの手の男性をよく惹きつけると思います(だって合うから。逆に搾取的な男性は遠ざけるんだろうなと・我慢や自己犠牲や遠慮をよく選択する人は搾取的な人を惹きつけやすい、だって合うから)。

男性側も、自分の意図や気持ちにもっとよく気づいて上手く伝えられたり、相手からして受け取りやすく喜んでもらいやすいように愛情を出す工夫もあったらさらにいいですし(悔やんでいる男性方、またこれから新しくがんばろうじゃないかw)、

みんな自分の嫌とか好きとか嬉しいとかを素直に自分で気づいてあげられて、それを上手く人に伝えられたらいいんだろうなと思う雨の夕方。
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何か思ったことなどコメントやメッセージでお伝え下さると嬉しいです^ ^