愛情のすれ違いー離婚相談の50歩手前-

愛の表現の仕方は人それぞれ違います。

例えば、収入を安定・充実させて家族に一定水準の生活をさせるのが愛、愛の表現だと思ってる生きているお父さんと、一緒の時間をたくさん過ごしてお互いの気持ちや考えをできるだけ理解するのが愛の表現、愛であると思っているお母さんがいるみたいに(昭和世代あるある・まあ特に上の世代の男性は自覚なかったりするんですが)。

そして、自分の愛の表現だけを愛だと思って、それがないと愛されてないと思うのがすれ違いのはじまりになり。

上の例だと、お母さん「お父さんは仕事ばっかり優先して家族と過ごす時間をとってくれない、私たち(妻と子)は愛されてないんだわ」というのがよくある勘違い例。
上のはどっちも愛情からですよね。

なので、「自分がどういうときに愛されていると感じるか」(反対に、何をされるとどう感じて嫌であるとかも同じ)についてお互いに話をしておく、それをしてもらったときにちゃんと受け取って喜ぶ、ということをパートナー関係相談とかではおすすめしています。
「自分がどういうときに愛されていると感じるか」はそれぞれ独自の世界だから。大概は自分の親にしてもらったことやしてほしかったのにしてくれなかったことだったりするのが多いんだと思いますが。

なので、「~してくれないから愛がない」というのはわりと誤解であることが多いので、相手の行動が相手の世界なりの愛の表現をしているんじゃないか、又は自分の愛の表現が相手に「愛の表現」と伝わってそうかどうか、検討してみるのもいいかもしれません。

離婚相談や裁判にまでこじれる関係の10歩とか100歩手前には、わりとこういうことがあります。

で、「私は愛されてない(自分はこんなにやっているのに)」不満を蓄積して、そこではない、もっともらしい・批判者が批判されにくい・どこに出しても恥ずかしくない理由(例:子どものための~をしない、とか)で相手を責めだすので、本音と言っていること(表面上の問題)がずれて、こじれる、問題がねじれるのであります。

深いところのはじめの本音は意外と照れちゃうような可愛い気持ちだったりして。

夫婦でも親子でも家族外でも意外と愛情はたくさん出回っていて、それに気づける、感受性がある、受け取れる、自分から人に伝わるように渡せる、周りに広げられる人が、わりと分かりやすい幸せ者だと思います。