離婚に関するよくある誤解

子どものいる夫婦が離婚をする際のよくある先入観・前提として、

「『片親』になる=片方の親と子どもが離れ離れになる」というものがあります。

しかし離婚したからといって親子の縁は切れるわけでも何でもなく、

典型的には養育費の分担等といった形で、どんなに少なくとも理論上協力して養育することは続きます。これまでとは違う形での協力。

もちろん、片方の親が失踪同然で連絡も取れず子どもと二度と会うことはなさそう、みたいなケースもあるでしょうが、

離婚して別居するものの養育費を支払い、子どもと離婚親はよく会うし

仲もいいし成長にも関わる、さらに離婚した男女同士も結婚時とは違う形で新しい一定の協力関係にある

という場合もあるわけでそこには千差万別の関係性とバリエーションがあり得るはず。

毎日会うことはなくなるじゃないか、というツッコミもあるかもしれませんが別に結婚してても片方の親の単身赴任が長いとか、仕事人間で家にいない、とか結婚家庭も事情は千差万別。一緒に住んでても心の距離すごい、みたいなこともありましょう。

にもかかわらず、弁護士=「異議あり!」(使う機会あまり多くないです)、裁判長=「静粛に」の木槌(日本の裁判所にはなく、「静粛に」も言いません。アメリカは知りません。教えて、留学した人)

のような先入観や言葉のイメージで「離婚=片親=親子離ればなれ」が大前提のようにしてしまうのは、

親子関係という超重大なお話のレベルとしては、もっと検証してみた方がよいことかもしれません。

「離婚」=「不幸せ」 親の離婚経験=「子はそれがないより不幸になる」なども似たような先入観・前提。

基本的に私たちはそういう前提となる思い込みをもっていると現実を無意識に思い込み通りの方向に引っ張っていってしまう性質をもちます(ピグマリオン効果・またはその応用)。

夫婦が離婚しようが子どもにとって親は親。

離婚の世間的イメージに何となく乗っかるのではなく、離婚は離婚として、これまでとは違う新たな関係性のデザインを

主体的に創造していくことも選択肢の一つかもしれません。

そうするために必要なものはお互いに対する尊重。その源としてご自分に対する尊重。

大人同士お互いに尊重がある方が子どもにとっても男女にとってもその関係性がより豊かな可能性の源となり得ます。

積もり積もった相手への感情でどうしても相手を尊重できない場合は無理する必要は全くありませんが(無理にできないし。あと暴力(言葉のそれを含む)からはいかなる手段を用いてでも距離を取ってご自分を守って下さい)、

その場合でもご自分のために時間をとって、(だいたいとても疲れていらっしゃることが多いので)まず休むこと、そしてご自分のお気持ちに優しく寄り添う、向き合っていかれることは、何よりご自分の平和のために、大切なプロセスとなるかと思います。

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プロセスの一例として↓

過去ブログ 「大切な人にわかってほしかったこと」  響く方にめっちゃ響いてました。よかったら。

ピグマリオン効果についても書いてました。

「大切な人には、心配するより・・を」