社会システムと自分

安富東大教授に関する記事。ああ、わかるなあ。

「あなたが苦しいのは社会システムが狂ってるからです」東大教授・安冨歩の発言になぜ共感が集まるのか

小中学校・高校生活に上手く適応できずしんどかった自分としては(自由がなさ過ぎて無理、通学ラッシュしんど過ぎ・大学は自由だから楽しい、いわゆるフルタイム会社員も私は無理)、

「不登校はまったく問題じゃない。『不登校が問題になる社会』のほうが問題なんです。」

は同感。
あるシステムに全員が適応できる、すべきだってのは無理筋な考え方だと思いますわ。

でも親はよかれと思って「社会システム」を押しつけてくるのよね。それしかないとも思ってるし、親自身も「我慢」してシステム適合してきてるから(大概さらにその親に押しつけられてる、で、その世代とかは戦争とかあるからシステム適合の強制力半端ない)、子どもだけが我慢せず自由にやるのは許せない(私が我慢してるんだからお前も我慢しろ)かつすごく怖い(未知の領域過ぎ)っつー心理も悪意なく無意識に働くしね。人間だもの。

で、我慢して適合していつしか自分を黙らせた大人は下の世代にこの仕組みを無意識に再生産しようとしがちである。

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そして人は、あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごし、知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるのだ(from 名もなき詩  Mr.Children 1996年 作詞 桜井和寿大先生)。
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ーーーーーーー(安富教授インタビュー記事から<リンク先>)
「自分自身になる」というのは、いわゆる「自分探し」のことではありません。「自分探し」なんてするだけムダです。だって、そもそも人は自分自身以外のものにはなれません。

でも多くの人は、想像力によって「自分じゃないもの」になりすましています。それをやめればいいだけなんですが、これがなかなかやめられないはずです。親に、そうなれと教え込まれているんです。

私の場合も「親の教え」にみごとにはまって京都大学へ入り、一流企業に就職しました。でも、京大に合格しても一流企業へ就職しても、全然うれしくなかったんです。

なぜうれしくなかったのかと言えば、そのときの私が「自分自身」ではなかったからです。「自分じゃないもの」がいくら成功したって、私がうれしいはずもありません。

ゲームの「ポケモン」ってあるでしょ。受験や就職で戦っていたのは、私じゃなくて私の「ポケモン(社会に適応するためにつくられた自分)」だったんです。成功しても、それは私ではなく私の「ポケモン」が成功しているだけなので、うれしくないんです。私だけでなく、ほとんどの人がそうなんです。子どもは親の「ポケモン」だし、戦っているのは、その子自身の「ポケモン」なんです。

不登校・ひきこもりを生きる、というのはたいへんな苦悩を伴いますが、じつは私が教えている東大生も、内面の苦悩は、ほとんど同じだと感じています。前者は「自分自身じゃないもの」になろうとしてなれずに苦しみ、後者はなりきって苦しんでいる。でも「自分自身じゃないもののフリ」をすることをやめないかぎり、自分の人生は始まりません。