紛争あるある。許すか許さないか。

相手を許せたら自分も楽に、平和になりそうだし、人間的に善さげだし、なんやかんや現実的にもそっちの方が得そうだから「許さなきゃ、でも…」と悶々となるくらいなら、「38億回死ね馬鹿野郎」とか思ってたり味方にわめいてたりする方が結果的にそのうち相手がどうでもよくなっていい感じに納まったりする。

許せない自分をまず許そうという話で、自分のことを自分で許せている範囲の広さ・深さと、他人や世界を許せている範囲の広さ・深さは比例する。

許すのは神の御業、我々器の小さい人間はわめいてジタバタしてていいそんな時期もあるさくらいの構えの方が楽にすんなりいく。

武道で、息が長い方が勝つ、力んでいる奴より緩んでいる方が勝つ(巌流島の武蔵と小次郎的な)と言われるそうですが法的紛争においても力んでいるより緩んでいる人の方が上手くいきます。

冒頭の悶々とする人は、良くも悪くも理想の自分像や世界像にとらわれがちなタイプ(私も)。

悩みの構造と・・・。

どんな感情もまずは一旦受け止められる必要があります。

“あの人に、他の人に、世間に、受け入れられない、認められない”と思ってるときは、自分で自分を受け入れてない、認めていないのだと思ってまず間違いはありません。

悩みや問題があるとして

大人だから、〇歳だから
父親だから、母親だから
男だから
女だから
〇〇という立場だから
自分はこういう人間であるはずだから
自分はこういう人間では決してあってはならないから

として感情を感じないことにしていると、概ね事態はこじれていく一方になります。(ちなみに感情を抑えてるときは思考がぐるぐるよく廻ります。思考に逃げてると感情感じなくて済むから)

抑えてた自分の気持ちや感情をしっかり受け止めてもらうと、気持ちや思考がスッと切り替わって展開が大きく変わることは多いし、悩み自体消えたり、”問題”という捉え方自体が自然に消えたりします。

人に受け止めてもらってもいいし、自分で受け止めてもいいし。

そういう意味で、悩みというのは、どんな自分も愛したいからこそ起こる、まだ受け止めてない自分の部分を受け止めにいく機会や過程ともいえます。

自分に( カッコ )つけないで、自然体で今日も生きましょ。