誰かを責めることの損得論

紛争や喧嘩につきもの、な責めること。

道徳ではなく損得で考える。

誰かと揉めてる人で相手を責めている人はとにかく苦しそう、
他方、揉めていたとしても相手は相手として、それなら自分は自分でこう動くという人の方が楽そう、また、現実を具体的に動かしていくので望む方向に向かいやすい。
相手を責めだすと大概相手も責め返してくるので責め責め合戦になって解決に向かいにくく、むしろ事態が悪化しやすい。

責められると責め返したくなるのが人情なので、人を責める傾向にある人はつまり責められやすく、よく人と揉めてそういうことに時間とエネルギーを使えば、当然望む現実を創る方にエネルギーを使わないので不満が募りやすい、
で、それを誰か(身近な人でも社会でも陰謀組織とか何でもいいや)のせいにして責め出すので悪循環。誰かではなく自分を責めるのでも同じ。

何か気に入らないことがあったときに、誰かや自らを責めだすとただじめじめグダグダして動きにくい上にとにかく自分が不快。誰かを責めることは自分の中にある何らかの罪悪感や否定したい自己イメージを抑圧していることが多く、
そっちと向き合う方が話が早い。その自己否定や罪悪感が余計だから。責めているとなんとなくその内側の自分の不快感と向き合わなくて楽なような気もするが、実際は向き合わないので不快感がいつまでもじわじわ続く(本当は自分で気づいている)。身体的な健康についてだとさらにわかりやすいが、不快感は単に自分からの何かに気づいてほしいというサインである。

ということで、自分を含め誰かを責めることは自分にとって損。とりあえず気に入らない事態をまあそれも現実として一旦受け容れてそれならそれでどうするか(何もしないを含む)という姿勢の方が得。

ポイントは、何を受け容れないことにしているのか、という自分の中の否定ポイントを見つけてああ否定しているんだなと否定していることを受け容れていくのが第1歩かと思う。

世界はなんとなく投げたものが返ってくるので、責めがほしければ責めればいいし、望むものがあるならそれを自分から投げるのがいいかと。